かおがまるいWorks

自分自身はかおがまるくありません。

オタクライブにペンライトは必要なのか~ライブは自由に楽しもう~

あけましておめでとうございます、なべちよです

 

今回何故正月なのにこんな記事を書いているのかというと単純に2017年を振り返った時に去年1年間ペンライトを振った記憶がほとんど無かったからであり、ペンライト無しでも十分にオタクイベントを楽しめることを知ってしまったからです

 

2017年に行ったライブ自体が少なかったのもありますが2016年以前はペンライトを無限に光らせていたのですが2017年になってからというもの、オレンジ(所謂UO系統)以外を光らせた記憶が1度しか無いのです(Aqoursの現場は高輝度ペンライトを解禁しろ)

 

昨今のオタクライブにおいてペンライトやサイリウムなどの「光り物」はなくてはならない存在になり、主催者側もイベントオリジナルペンライトを販売するなど公式で使用が奨励されているものになっていると言えます。しかし、自分はこの1年ほとんどペンライトを触らずに生きてきて

 

いやこれペンライト邪魔だなぁ

 

と思うようになったのです

 

理由は簡単で

  1. 楽曲毎にペンライトの色を変えるのがめんどくさい
  2. ペンライト持ってるとクラップが出来ない(クラップチンパン)
  3. 腕が軽いので比較的疲れない
  4. ペンライトを持たない分、自分の楽曲への思いを腕や手全体で表現することが出来る(ペンラ持つ時より振り回すので結果的にそれより疲れる)

主にこの4点が挙げられます

まず1ですね、これは多分皆さん一度は感じたことあるんじゃないでしょうか。楽曲毎にイントロを聴いて「あっこの曲だあの色に変えなきゃ」とか曲の途中で「この曲はPVではああいう演出だったしここではこう光らせたい」とか考えますよね?

 

その時間、無駄じゃないですか?

 

個人的な意見なんですけれども、色変えてるタイミングに演者の決定的瞬間を見逃す可能性があるんですよね。どんなに手元を見ずに色を変えられると言っても意識は少なからずペンライトに向きます。それって勿体なくないですか?ライブは演者を見てナンボなのにそれを見逃してしまう可能性がある行為、わざわざする必要がありますか?「あっこの子が登壇したってことは次はあの曲だな」ってやってる間に周りから歓声が聞こえて来たらどうですか?もし演者が客席、自分の居る方向へ何かアクションを起こして居たとしたら?ぼくは多分ペンライトを叩き割って後悔するでしょう

 

続いて2です、これは単純ですね。手が塞がっているとクラップはできないのです(それはそう)。特にAqoursの現場は最近クラップ曲が増えてきたからなんでしょうけれど会場に響くクラップ音の快感は凄まじいものがありますし、手軽に誰でもできます。何よりクラップも「コール&レスポンス」の1つだと思っているので(光る演出ももちろんその1つ)大事なことだと思っています(コールと一緒でクラップするなら揃えような)(クラップに真剣)(手軽に誰でもできるとは)

 

最後に3,4です。ペンライトを振るって行為、なかなか疲れ溜まりますよね

 

しかし、手ぶらならどうでしょう

 

ペンライトの重量がそのまま減るのでかなり楽になります

 

そしてペンライトを振る行為、ワンパターンになりがちじゃないですか?前後左右上下に動かすだけで自由度が低いように見えます

 

しかし、手ぶらならどうでしょう

 

例えば同じ「捧げ」でも自由度がグッと増し、曲やパートに合わせて自分の思った「表現」が可能になります。演者達の「表現」に対し観客の立場からも「表現」で返すことができるのです、これは立派なコミュニケーションだと個人的に考えています。オタクイベント以外のライブ等ではペンライトを持たず指を高く突き上げたりなどの表現法があり、ぼくの「表現」もそれを参考にしている節はありますね。手ぶら、楽しいぞ

 

ちなみにぼくが唯一オレンジ以外のペンラを光らせたのはP'sLIVEにおける三森すずこさんの「Colorful Girl」なんですけれども、この曲は曲中で歌詞の通りに「色を変える」という演出があるんですね。これは去年のソロライブをSPLオフに参加するために蹴ってしまったのでその禊を込めてやったんですけれども、まあ実は結構な練習をしました。ペンライトの色の設定は勿論、曲を聴いてどうやってペンライトを取り出して円滑に色を変えるかなど、もうこれやらなくても良くないか?と思いましたけど推しのためと考えるとやってしまうもんなんですかね(やっぱペンライト要るじゃん)

第6回SPLオフ 全国ダブルベスト16構築 - プロジェクトなべちよドールズ

 

まあこういう事情があって「光る演出」に参加したことはあるんですけれど、正直なところ公式側にやれと言われていない演出のためにわざわざペンラ使うことはないと思っています。例えば公演中に演者から「ここからここまでがこう光るよ~」みたいに言われる茶番(茶番って言うな)があった時はそれは参加すべきであると思っています、演者の命令は絶対。逆に言われていない例として代表的なものだと最近ラブライブ!界隈で話題の「ヨーソロード」、「果南レール」が挙げられます。この2つ、以前から話題にはなっていたものの先日行われたファンミーティングのソウル公演後に公式Twitterで映像が取り上げられてから急激に盛んに語られるようになっています。これらが成功したのは良いことですがそれらの演出を「強制」しようとする輩が声を大きくしたのも事実です。別に公式サイドは「やってほしい」だなんて言ってないのです、演者の皆さんも具体名は出さないものの「また見れたら良いね」といった具合の発言に留めています。結論めいた話になってしまうんですが、ライブって自分の好きなように楽しめばいいと思うんですね。払った対価に対して見合うのであればそういう演出に参加するも良し、演者の姿を目に焼き付けるも良し、と思っています。しかし、それらは「著しく他人に押し付けるもの」であってはいけないはずです。互いに対価を払ってライブに参加しているわけですしある程度は互いの自由を尊重するのが当然ですね、演出に「参加する自由」もあれば「参加しない自由」もあるわけです。逆に押し付けというか厄介行為の鉄板として語られる所謂「家虎」ですが、個人的には寛容でして「演者を観るのに集中していたら気にならない」、「気にし過ぎて大きく聞こえるだけ」と思っています(綺麗な家虎はちゃんと曲に入り込んでいる)(は?)。というか叩いている連中が騒ぎ過ぎている節もあると思います、厄介探しに現場に来てるなら演者にも来れなかった同業者にも失礼だから来ないでくれ。一部はわかりませんが大半はライブを楽しみにしている参加者の一人であるはずです、ついつい高まって叫んでしまうこともあると思います。「高まりを得た時」や「推し楽曲が演奏された時」にオレンジを振り回す人だっていますよね?それとベクトルは同じなのです(Aqours2nd埼玉初日のミラチケ家虎マンは色んな意味でヤバかったですが) 

ここまで長々と語ってきましたがまあ正直なところ、ペンラが必要かどうかも個人個人の「自由」であり自分の楽しみたいように楽しむのがライブだと思っています。単純に手ぶらの楽しさをダイマしたかったのと「ヨーソロード」「果南レール」に物申したかっただけです